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day after day & 武松昭男のphoto日記

繁栄の隠れた理由

かつて、奈良の都として栄えた平城京ですが、日本の首都として機能したのは、わずか70年余り。短い期間で政治の中心地の座を明け渡した理由の一つに「ごみ」が挙げられています。

平城京の推定人口10万人前後とされる「ごみ」(生ごみ、し尿、生活排水)の処分を、どこかでしなければなりません。7世紀の頃ですから、焼却炉なんてありません、ごみ収集車もない。

たぶん、ごみの量は今と比較にならないほど少ないでしょうし、かつ、ごみも天然由来の物ばかりです。しかし、ごみを人が住んでいないところまで運ぶことができない訳ですから、おそらく住居近くに穴を掘って捨てたり、小さな溝をつくって流したりしていたといわれています。汚物が堆積しやすい生活環境だったということが想像できますね。

そして、その付近の井戸から水をくみ上げて生活用水としてつかう。このようなことは現在も開発途上国では行われています。

不衛生である井戸水を飲料水として用いれば、やがてペストなどの病原菌によって、たくさんの人々の健康が害され、街を痛め続けることになり、壊滅へのスピートをはやめることにつながります。

それは、徐々に首都としての機能を果てせなくなることを意味し、安定して政を治められる地をつくることを迫られることになります。

やがて、遷都は平城京から平安京へ・・・

京都には鴨川をはじめとして大きな川があり、平安京ではこうした川に「ごみ」を川に流すことによって汚れを除き、清潔な生活環境を維持することができていた。あくまで推論ですが、「葛野の地は山や川が麗しく四方の国の人が集まるのに交通や水運の便が良いところだ」と恒武天皇の勅語が残されているように、平安京への遷都理由のひとつに「水」が大きくかかわっていることが窺えますね。ここでの水運は、水上交通を指しているとのですが、平城京の「ごみ」処理状況から、「川」が天然の下水道施設の役割を果たしていたと推論しても、あながち間違いではないような気がします。

もちろん、遷都するにはもっと深くて、難解な理由があるのでしょうけれど、「ごみ」が街を壊滅させるほどの威力を持っているのは、いまも昔も変わらないかな、と思ったり・・・。

時代は進み、日本では街の衛生を保つインフラ整備がされ、あまり「ごみ」のことに関心を持たなくて済むようになっています。

でも、時々はこんな視点から環境を問い直し、本当にこのまま人間が危機に直面することなく暮らしていけるのか、そんなことを考えてみたり。

きょうは、暖かくなりそうですね。

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by AKIO_TAKE | 2015-03-30 07:52 | environment