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day after day & 武松昭男のphoto日記

警告

チッソ水俣工場が不知火海に流した工場排水に含まれるメチル水銀が魚介類を汚染し、知らない間にその魚を食べた人たちがメチル水銀中毒となってしまいました。日本の公害の原点であるといわれる水俣病は、経済白書が「もはや戦後ではない」と謳った1956年に確認されたのです。

先日の出張の際、わずかな時間でしたが、メチル水銀を封じ込めた地につくられた「エコパーク水俣公園」と隣接する水俣病の資料館に立ち寄ってきました。水俣病の教訓を伝えるための「国立水俣病総合研究センター水俣病情報センター」、その隣に「水俣市立水俣病資料館」があって、またその隣に「熊本県環境センター」がある、、、公害、環境汚染を伝える施設が国・県・市と並んでいたのにはちょっとビックリ。

ゆっくりと資料を拝見することが叶わずでしたが、壁面やパネルに飾られた写真から、その被害の甚大さが窺えます。そして、悲しみや辛苦に耐える患者さんの姿を見て、かつて、廃棄物処理に携わっていた頃の自分の浅はかな考えに不快感を覚え、なんとも言い表せない気持ちになりました。

駆け足ながらですが「もやい直し運動」という言葉をたくさん見かけました。案内の方に質問してみると、もやいとは、船と船をつなぎとめることを指し、協働で「あること」を成し遂げる意味があり、その「あること」とは、「環境汚染による偏見、差別で住民の絆が破壊されてしまったので、環境で町をたて直す」ことなのだそうです。

だから水俣市は住民の絆を取り戻すため、平成5年から全国に先駆けて21種類の分別収集に取り組んだのですね。

水俣病の発生が確認されてから12年の月日を過ぎて、ようやく工場の廃水が停止されました。水俣病と闘い続けた患者が発するメッセージはとても重たい・・・

「水俣が発する最大のメッセージは、人類のおごりに対する警告である」

「過ちて改めざる。これを過ちという」を自身に言い聞かせ、水俣病慰霊の碑から不知火海を眺めていました。

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by AKIO_TAKE | 2015-08-28 00:09 | environment