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日常に潜む自身の無責任を問う

1週間どころか、2週間ほど更新が滞ってしまいました、恐縮です。改めて、綴っていきますので宜しくお願いします。

さて、これまでの自身を反省し改めていくことに、ひとつ気づく。
これまで、仕事をしていくうえでメールを連絡ツールとして、先様より有益な情報を頂き、ときに、困ったことや協力してほしい事柄もメールで配信されてきます。

メールという連絡ツールが一般的になってかなりの年数がたちますが、振り返ってみて、助けや協力を求められたとき、相手の呼びかけにきちんと応じず、つい面倒がってスルーしてしまう、ということがあったなぁと反省・・。

9月3日の投稿で紹介した本の中に、こんな一文がありました。
「責任」はふつう、英語の「リスボンスビリティ」の訳語として使われている。この語はリスポンスとアビリティの合成語で、要は、何かに応じることができるということである。そういう意味がこの語(責任)の芯をなしている。<途中略>「責任」というのは、最後まで一人で負わねばならないものでもないし、なにか失敗したときばかりに問われるものでもない。「責任」とはむしろ、呼びかけや訴えに応じあうという「協同」の感覚であるはずだ。

このくだりを読んで、「責任」とは、まず他者のヘルプにきちんと応じること。それができた後にしか「協同」という作業は生じない。一方的なまま、事に仕えてもクオリティに優れた仕事には結びついていかないということ。そう、解釈しました。

人は他人に大事にされて初めて「自己を尊ぶ心」が芽生えるという。つまり、「自尊心」は他人から贈られ形成されるもの。自分を粗末にしない心をつくりあげるには、他者からのヘルプにきちんと応ずること。

日々、問題をシェアしている感覚を忘れないように過ごさなければと思います。

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by AKIO_TAKE | 2014-09-19 23:25 | look/gaze