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day after day & 武松昭男のphoto日記

今は昔

みなとみらい21地区・・・かつては幾多の船を造りだしていた造船所であり、横浜市政100周年を記念して横浜博覧会が開催された1989年を終えた後、横浜ランドマークをはじめ、数々の個性ある建物がつくられていき、今や横浜の表紙ともいえる地区です。

確か、1990年頃かな、もう曖昧な記憶しか残っていませんが、これから立ち並ぶであろう高層ビルから排出される廃棄物の収集処理を請け負うべく、日々、ビル所有者の担当者にアポを取っては訪問し、見積書や社の特徴などを熱心に説明していたような。。。

数社に亘って営業活動をしている中で、在る企業から見積書と一緒に提出するよう求められたのが、「社員教育」と「新卒採用」についての資料。社員教育の方はなんとか作成したものの現実の実施内容はお恥ずかしいところでしたし、まして、新卒採用なんて・・・この2つの資料を求められた時は、心と頭の中で一瞬白旗をあげました。

当時の横浜市内(神奈川県内でもなかったと思います)で新卒を採用している廃棄物の企業は「0」。でも、この現実が白旗を破り捨てるきっかけとなりました。どこもやっていなんだったら、First challenge & dream come trueしかない、ということで見積書と一緒に提出し、なんとか、仕事をもらうことができました。バンザ~イと同時にメチャクチャ恐怖感に襲われました。だって、新卒採用しますって約束しちゃいましたからね、日本人なら知らない人はいない企業と。

約束しちゃったから、やりました・・・でも、どうやってやったらいいのか。太平洋を一人で泳いでいるような数年を経験する羽目になり、しかも、創業者の父親はどうにか承知してくれましたがお金を管理する方たちからは猛反対。

そりゃ~、そうです。

当時の廃棄物会社の採用に対する考え方は、採用コストは限りなく安く、採用日翌日からトラックに乗務し、ごみの回収をして、あすから1円でも多く会社にお金(つまり、ごみ)を運んでくる、が標準、フツー。どこの誰ともわからない人材を採用するなんて、もってのほか、でしたから。いつになったら稼いでくれるかわからん状況を良しとはしなかった、というか、わかっちゃいるれどなかなかできなかったし、みんなと横一線でいることがもっとも安全装置が働く時代でしたので、余計なことはしない方が無難でもあったわけです。

業界全体の採用に対しての考え方はこんな感じだし、当然マニュアルは無いし、現代みたいに検索すれば教えてくれる機能もなく、どこに行けば新卒が居るのかさえわからん。今思えば、色々な方にご迷惑をおかけしたと思います。面接の仕方さえ、それこそ「0」からのスタート。私のトンチンカンな質問にも嫌な顔せずに教えてくれたみなさまには、本当に感謝あるのみです。おかげさまで、在籍している間は継続して新卒採用をすることができました。なにより、こんな程度の採用知識にもかかわらず入社してくれたみなさんには感謝のみ。将来を見据えて横一線から脱出する素地を歩み始められましたから。。。

人ひとりの人生を左右する「採用」というプロセス・・・生半可な気持ちなら取り組まない方が賢明なプロセス。
誰かに教え伝えたりすること、理解してもらうには、教え伝える方が理解をしていなければ伝わりません。やさしく、一日も早く戦力として活躍してもらえるよう、こちらが努力しなければ新卒採用しても意味がない。

「採用」の二文字を見ると、時々、1990年当時のことが蘇ります。で、本屋さんの棚を巡っているときに見つけた「採用学」なる一冊。

今は採用業務に携わることはありませんが、採用を学問の見地から書かれた一冊のようです。自身の仕事にも役立ちそうなのでレジへ持っていきました。今週末の一冊です。

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by AKIO_TAKE | 2016-06-14 23:20 | book