2018年 12月 04日
架空の生き物
今朝の神奈川新聞読書のページに、「普通」とは何かを考えたい、のタイトルで高校生の記事が紹介されています。
中学生までとは違い、勉強もバイトも日常も周りとほぼ同じ、という環境から自分で選択する機会が増えた高校生活では「普通」が何か、についても考える機会も増えた。
その普通について多くの人が普通だと思えば普通になり、少数だと普通でなくなることもある。とても不思議な「普通」をこれから考えていきたい、という思い。神奈川新聞のこのページには日々高校生の記事が紹介されており、毎朝の楽しみの一つとなっています。
まもなく迎えるAI時代の人間像の課題として「他者と協働しつつ自ら考え抜く自立した学び」が不十分とされる議論が起きる中、
「普通」についてこれから先も考え、そして、多くの普通が明らかに「誤り」と思ったときは、勇気を出して言えるようになりたいと結ぶ一言に、ピンと背筋が伸びます。
そんな高校生の投稿に刺激されて先月読了した「コンビニ人間」を思い出しました。「普通」に生きることを要求される現代社会の中で、コンビニ店員の姿を借りて、自分なりの「普通」を演じるひとりの女性。多様性を、という言葉が多く聞かれる昨今が、答えのない「普通」という「圧力」が蔓延している証じゃないのか。そんな問いを投げかけるコンビニ人間。
中高生を対象としたフォトコンテストを主催させて頂ていますが、若い世代のストレートな言葉や表現に人生の軌道修正を余儀なくされるオトナの私です笑