2022年 04月 01日
解決の距離感

「横浜中華街は食べ歩き用の容器やりんご飴の串を捨てるごみ箱が無い。ごみ箱を置いた方がいいのではないか」。
昨年秋頃から数校の大学と街のこれからについて議論したり、アイディアを頂く機会が多くなっています。大学も履修科目として取り組むところもあり、当分学生たちとコミュニケーションを図る機会が増えそうです。
そのコミュニケ―ションテーマの一つに「ごみ問題」。嬉しいことでありませんが「ごみ問題」強し!といった感じです。つい先日も、オンラインで関西方面の大学生達とコロナ禍前後のポイ捨ての様子や街にごみ箱を設置する予定があるのかなど、質問に応える形式で90分ほどディスカッションしました。
もうずいぶん前ですが、中華街も大通りにごみ箱を設置していた時期がありました。人でごった返す中、「ごみ箱いっぱいになったよ~」と電話が入ると、近くにトラックを止めてえっちらえっちらと大通りから側道までごみを運び出して処理をしていたこともありました。1980年代には街中に設置されたごみ箱は撤去していたと思います。薄れゆく記憶なので、たぶんという申し訳ないレベルですが。休日はごみ箱がすぐ溢れてしまうし、誰がそのごみ処理費を負担するのか。そうしたことに街が明確な回答を見出せず、止む無く、一度撤去しましょう・・とそんな感じだったかと。その後、1995年に発生した公共交通機関でのテロ事件以降、来街者の安全第一ということで街中のゴミ箱設置は長らく見送られていました。
しかし、ここ数年、横浜中華街も食べ歩きの店舗が急増し、ゴミのポイ捨ても後を絶たない状態です。コロナ禍でしばらくは街にもゴミが落ちていなかったのですが、昨年末から人出が戻り始めるのと同調するかのようにポイ捨ても目立ち始めました。街としても傍観することはなく、食べ歩きの店舗には、店舗にゴミ箱の設置及び来街者にゴミ箱があることを知らせる表示と他店舗の空き容器や肉まん・小籠包の敷き紙などのゴミを受け取るよう、街の環境美化活動を展開しています。それでも「街にゴミ箱の設置を」の声は変わらず。
ゴミ箱を設置すればポイ捨てが無くなり、「ごみ問題」は解決する、とアドバイスされるのですが・・
「ごみ問題の解決」は提案側と提案される側で共通課題ではあるものの、「解決した状態」に相違があります。ゴミ箱の設置で解決すると考える人と、設置後に検討を要する、例えば①コスト負担、②正しい分別がなされるか、③危険物の混入防止策などを、予め解決しておく、または想定される事項も継続することを必須とするなど、「解決した状態」までの距離感がだいぶ異なるときがあります。ゴミ箱を設置したはいいけれど分別が必須の時代に、なにもかもがごちゃ混ぜに捨てられていたら・・それはそれで格好の非難の的になります。
大学生のみなさんには「ゴミ箱」設置後の、その先、またその先あたりまで考えておいても良いのではとお応えすることがあります。そのためには、廃棄物処理法やごみ問題に関する法や条例を学ぶ必要もあります。さわりだけでもいいと思います。そもそも「ゴミを捨てる」という発想ではなく(現実には捨てるゴミが多くても・・)、「活かすゴミ」としてサービスができないだろうか。それはムチャじゃねぇ、と言われそうですがそれくらいぶっ飛んだ発想がこれからに適応できるような気がしている、今日この頃。
※写真は2022年3月16日に撮影
by AKIO_TAKE
| 2022-04-01 20:38
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