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day after day & 武松昭男のphoto日記

実感を取り込む

経済学で、多くの人の利己的な行動によって共有資源が枯渇することを「共有地の悲劇」という寓話で語られることがあります。

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とある農村の住民はそれぞれ自宅で牛を飼っていて、牛は村共有の牧草地で草を食べ、住民は乳を搾ったり、牛を市場で売ったりしながら暮らしを営んでいた。ある日、知恵の働く住民が自分の飼う牛を増やして共有地で放牧し、大きくなったら売り飛ばし、財を成した。それを見ていた他の住民も「よし、俺たちも」ということで、それぞれ牛を買って、共有地で放牧するようになった。けれど共有地の面積は限りがあって、そこで育つ牧草の量にも当然限りはあり、いつしか牧草は食べ尽くされ、牛たちもみんな飢え死にしてしまう。そして、住民たちもみんなお金を損して不幸になってしまった。
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これが共有地の悲劇という寓話です。

この寓話では住民たちは決して利己的に振舞ったとは言えないし、むしろ生活を良くしようとして一生懸命に働いた。一方で、限られた共有地の中で、牛たちを増やせばやがて牧草は食べ尽くされることも分かっている。けれど、どうせ自分が牛を減らしたって他の住民が牛を増やして財を成すことに腐心するさと、住民たちは牛を減らすことをしなかった。

分かっちゃいるけれど、というところでしょうか・・共有地に悲劇が起きるのは、対象となるものが公共の場に在って、誰かの所有物ではないから。なぜなら、人は私有物については後先考えながら大切に扱うけれど、共有物は粗末に扱ったり、公共には無関心になりがち。そんな人の性が悲劇を生じさせてしまうことがある。この寓話は経済分野だけではなく、環境問題の本質を考える際もあてはまると思っています。

寓話を聞くと、人は目に見えないものは無関心というけれど、本当にそうなのかなと思います。ポイ捨てされたごみなんかは見えているけれど公共に捨てられている場合は見て見ぬふり、でも自分の家や庭、或いは、店舗前に捨てられていると「どうにかして欲しい」となる。共有地の悲劇を防ぐには、すべてを私有物にする。しかし現実的には無理。次は、社会でルールをつくって、みんなで守っていく。しかし、これも理論上は可能であり効果もあるだろうけれど、ルールも万能ではない。時代の要請や社会背景、技術の進歩に合わせて改正を重ねていく。では、私はどう対処するのか・・・ポイ捨てのごみを時々でも拾い、街が汚れているという実感を自身に取り込むことで共有や公共に無関心にならないように努める。何かの役に立つわけではないけれど、ポイ捨てごみを拾って、そうやって自制を積み重ねていくしかないのかなぁと思います。


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by AKIO_TAKE | 2023-01-12 22:14 | look/gaze